[社長インタビュー第2回]

強い相手には組織で立ち向かえ!

2012/3/14

お笑いタレント アントキの猪木
インタビュアー:越石一彦、構成:木村俊太

前回は、アントキの猪木さんが震災後に真っ先に被災地に入って行った支援活動、さらにはボランティア団体「TSUNAGARI project」の活動内容などについて伺いました。今回は、「思い立ったらまず行動する」というアントキの猪木さんが、役所勤め時代に影響を受けた上司の行動や考え方などについて伺います。

弱い者は“とぐろを組め”

――「思い立ったらまず行動」という考え方は、役所勤め時代の上司の影響が大きいとのお話でしたが、どのような方だったのでしょうか。

役所というところは、とにかく「やらない理由」を真っ先に考える人たちの集まりでした。どう考えてもやったほうがいいようなことでも、「前例がない」「予算がない」「担当が違う」などなど、やらない理由が次々と出てくるのです。

ですが、私が役所に入ったときの最初の上司は、まったく真逆の人でした。「やろう」というところから始まる人だったのです。まわりが何を言っても「だって必要なのだから」と言って、迅速に行動していました。

お酒が好きでよく一緒に飲みに連れて行ってもらいましたが、飲んでいるときにも地元の方々から要望を言われたりすることがよくあったのです。飲んでいる席でも、必要なことなら「よしわかった。やろう」と言っていました。

あれほど酔っていたし、酒の席なので覚えていないだろうと思っていると、驚くことに翌日にはすべて段取りをつけていたのです。「イエス」から入って即行動。その言動は私に大きな影響を与えました。

――役所の方がそのような人だと、地域も発展しそうですね。

この上司は本当に型破りと言いますか、他にはいないタイプでした。「市民に奉仕するためには、いろいろな人の協力が必要だ」と言って、警察、消防、病院、弁護士など幅広い人脈を持っていて、何かあるとすぐにみんなから協力を得られる人でした。

また、ものすごい努力家でもありました。もともと学生時代から野球をやっていて、最初に就職した国鉄でも続けていましたが、辞めて、当時の茨城県千代田町役場(現在は合併して、かすみがうら市)に就職したそうです。ところが、それまで野球ばかりで勉強をほとんどしていなかったため、漢字が苦手で書類をしっかりと作れなかったと言っていました。

でも、漢字が書けないのでは役所は勤まりません。すでに30歳をこえていましたが、そこから漢字の勉強を始めたそうです。プライドもあったと思いますがそれでも漢字の勉強をして、すぐに仕事に支障のないレベルにまでなったと聞きました。

――具体的に教えてもらった考え方のようなものはありますか。

「弱い者は“とぐろを組め”」とよく言われました(笑)。“とぐろを巻け”でも“徒党を組め”でもなく、“とぐろを組め”。要するに「強い相手には個人ではなく、組織で立ち向かえ」ということですね。

当時、いわゆる平成の大合併より10年以上も前でしたが、すでに「いずれ市町村合併がある。そうなったら、千代田町は小さくて弱いから苦労することになるぞ」と言っていました。「だから、“とぐろを組め”」と。

小さくても弱くても、組織になれば強い相手にも対抗できます。実際、一致団結した千代田町は、通常はありえないのですが、霞ヶ浦町との合併で対等合併となりました。

一人ではできないことでも“とぐろを組めば”できることがあるというのは、その後も私の考え方の芯になっています。この芯はどんなときでもぶれないですね。

モノマネなんてできません

インタビュアーの越石

――役所と言えば安定した職業であるうえに、そんなにすばらしい上司がいて、なぜ芸能界に入ることになったのでしょうか。

私が最初に配属されたのは土木課でした。高校も専門学校も建築科を出ていたのですが、「建築も土木も一緒だろう」と思われて配属されたようです。3年半ほどいて、いろいろなことがわかるようになり、自分で組んだ予算で町に橋ができたり、道路が整備されたりして、仕事が楽しくなってきた矢先に「明日から福祉課へ行ってくれないか」と言われました。

当時、介護保険制度が始まる少し前だったこともあり、福祉課はその準備で目が回るほど忙しいところだと言われていました。でも、行ってみるととても楽しいところで、「福祉の仕事は天職だ」と思いました。特に、高齢者の方々とのふれあいは、とても楽しかったのです。もしかすると、いまのボランティア活動の源泉はここから来ているのかもしれません。

役所は異動の時期になると、どこに異動したいかを第3希望まで書いて出すことになっています。福祉課の仕事に大きなやりがいを感じていた私は、3つとも福祉関係の部署を書いて出しました。ところが、なぜか観光課に異動になってしまったのです。

――なぜなのでしょうか。

わかりません。私も「いったい何のために希望を書かせたのか」と思いました。その頃から、「自分には役所は合わない」と思うようになり、「辞める」という選択肢が頭に浮かぶようになりました。

ちょうど先ほどの尊敬していた上司が退職したことも重なって、心にぽっかり穴があいたような気持ちになっていました。

――それで役所を辞めるのですね。その後、芸能界とはどうつながるのでしょう。

土浦にモノマネをする人たちが集まって芸を披露する飲み屋ができたのです。そこのオーナーと知り合いだったので、店を手伝ってほしいと言われました。そこで、ほかで働きながら、飲み物を運んだりして店の手伝いをしていました。モノマネではなく、ホールの手伝いをしていたわけです。

ところが、お客さんからよく「アントニオ猪木に似ているね」などと言われるわけです。適当に「はい、よく言われます」などと答えていたのですが、ある日、店に行くと水着のようなパンツとタオルが置いてありました。そして、オーナーが「裸になれ」というのです。

――アントニオ猪木のモノマネをお客さんの前でやれと。

そうです。「30過ぎて、人前で裸になってモノマネをやるなんて恥ずかしくてできません」と言ったのですが、なんやかんやと乗せられて、やることになってしまいました。

ところが、やってみたらうけてしまったのです(笑)。それで今度は『笑っていいとも』(フジテレビ系)の「身内自慢コンテスト」に出ることになり、合格してしまいました。それをいまの事務所の方が見ていて、連絡をくださったのです。

でも、芸能界なんてあやしくて、いかがわしい世界だと思っていましたから(笑)、「1年間はいまの仕事をします」と言って断りました。ところが、1年後に偶然、その事務所の人と再会するのです。「これは運命だ」と思い、「お願いします」と言って芸能界に入ることになりました。

来週の回は日本を元気にするためのプロジェクト「わっしょい!JAPAN」について語っていただきます。

<最終回:一寸先はハプニング!>

インタビュアー:越石一彦、構成:木村俊太

投稿日:2012年3月14日
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