[社長インタビュー第2回]

スポーツチームは地元が作る!

2011/12/21

株式会社湘南ベルマーレ 代表取締役 眞壁潔
インタビュアー:越石一彦、構成:木村俊太

前回は、Jリーグの強豪チーム湘南ベルマーレが、いわゆる「市民クラブ」となり、「総合型スポーツクラブ」となるはじまりについて伺いました。今回は、ビーチバレーやトライアスロンが湘南ベルマーレに加わるに至った際のエピソードについて伺います。

地元の声が行政を動かす

――前回のお話では、ヨーロッパのような総合型クラブを目指すなかで、バレーボール元日本代表の川合俊一さんからビーチバレーチームのお話をいただいたとのことでした。総合型クラブを目指すためにビーチバレーを始めたというよりは、偶然に始まったということなのですが、具体的にはどのようなことがきっかけだったのですか?

まったくの偶然と言ってはなんですが、いろいろなことが重なって生まれたのは事実です。

川合さんは現在、湘南ベルマーレのビーチバレーチーム設立代表を務めていただいていますが、当時は、日本人初のプロビーチバレーボール選手として活躍した後にコーチをしていました。

その頃は、ビーチバレーはまだまだマイナースポーツで、砂浜にコートを立てると、どの海岸でも、海水浴客や海の家の人、管理者といった方々から苦情を受けたそうです。「危ない」「海水浴の邪魔になる」「客がいなくなってしまう」などです。

そのような状況のなかで、ビーチバレーができそうな砂浜を探していた川合さんがたまたま平塚の海岸にやってきたのです。

一方、話はぐっとさかのぼるのですが、1990年に「サーフ90(相模湾アーバンリゾート・フェスティバル)」というイベントが開催されました。相模湾全体で半年間にわたって計550のイベントが開催されたのです。平塚も当然、相模湾に面しているのですが、平塚の海岸というのは当時、どこも遊泳禁止だったため、そのイベントに加わることができませんでした。

別のイベントを企画したくても遊泳禁止ですから、サーフィンをはじめ、人が泳ぐようなことはできません。また、港の形状の問題もあって、船のイベントも不可能でした。そもそもそのイベントは行政指導のもと、税金を使って行われたので、平塚だけなにもしないというわけにはいきません。「仕方がない。散歩なり、日向ぼっこなりができるデッキボードを作ることにしよう」ということになりました。

――他では船とか、サーフィンのイベントをやっているなか、散歩と日向ぼっこですか(笑)。

はい(笑)。ところが単なるデッキボードですが、これが人気のスポットになるのです。平塚の海は遊泳禁止だったのであまり人が来なくてとてもきれいでした。それまで何もなかったところにおしゃれなデッキボードができて、きれいな海が見られると話題にもなり、人が集まるようになったのです。

砂浜というのは仮設の建造物しか建てられない決まりになっていたので、イベントが終わったら、デッキボードを撤去しなければなりません。ですが、いざ撤去となったときに地元が動いたのです。「せっかく貴重な税金を使って作ったのだし、こんなに多くの人でにぎわう人気スポットになったのだから、壊してしまうのはもったいない。地元できちんと管理しますから、ぜひ残してほしい」と行政に訴えました。

最後は「せめて、老朽化するまでは残してほしい」と訴え、安全管理や修理青年会議所や地元の人たちが自分たちでしっかりやることを条件に、何とか了解を取り付けました。

――そんなときに川合俊一さんがやってきた。

そうです。きれいだし、遊泳禁止だから海水浴客もいないし、すてきなデッキボードもあるし、いいじゃないかということで勝手にビーチバレーをはじめてしまったのです。もちろん人気者ですから、地元の人たちとも仲よくなって、いつの間にかコートが常設されるようになりました。

ビーチバレーの観客が増えると、今度は仮設トイレではかわいそうだと常設トイレができ、安全面に問題があると街灯ができます。やっぱり汗を流した後にはシャワーも浴びたいですよねとシャワー室ができ、次々と地元の青年会議所や地元の人々が行政に交渉していたのです。

やがて、市の予算でデッキボードの上に管理棟が建つまでになります。市民の声を聞いた行政もすごいですし、行政を動かした市民もすごいです。気がつくと、何もなかった平塚の海は、いつの間にかビーチバレーのメッカになったのです。まさに、前回で説明したヨーロッパ型のスポーツクラブと同じです。市民が自らスポーツクラブを作ってしまった経緯と重なるのです。

ビーチバレーとトライアスロン

――その川合さんのビーチバレーチームがベルマーレになるのは、どのような経緯だったのですか?

2000年ごろだったと思いますが、たまたま川合さんとお話する機会があり、その経緯を聞いて「Jリーグの理念のもとでベルマーレがやろうとしていることは、まさに川合さんがやっていることと同じですよ」ということで意気投合しました。

私たちはJリーグというトップチームの側から地域に広げていったわけですが、ビーチバレーは地域の側からトップのほうへと広がったということで、偶然とはいえ、いい形で一緒になることができました。

――ビーチバレーとともにトライアスロンも始めました。

私たちはとにかく一刻も早く初めて、事業として成り立たせていかなければならなかったので、あまり時間に余裕はありませんでした。例えば、陸上競技も候補にあがりましたが、大きな組織を動かそうとしますとどうしても時間と労力がかかります。

そのようなときに、元サッカー選手だった中島さんがぜひ一緒にやりたいというお話をいただきました。新しい競技団体というのは新しいことに対して積極的で、日本トライアスロン連合(JTU)にも応援していただきましたしフットワークも軽かったのです。トライアスロンなら、マラソンだけの大会とか、自転車だけの大会とか、水泳だけの大会というように、分割することも可能です。1つの競技ながら幅広い活動ができます。そしてもっとも大きかったのは、私たちの理念に賛同してくれたことです。

このような経緯で、まずはサッカーとビーチバレーとトライアスロンという構成でスタートすることになりました。(続きは最終回へ)

今回は、ビーチバレーやトライアスロンが湘南ベルマーレに加わるに至った際の具体的なエピソードなどについて伺いました。次回は、各事業がどのように実現され、黒字化されていくかなど、アスリートたちの経営力について伺います。

インタビュアー:越石一彦、構成:木村俊太

投稿日:2011年12月21日
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