前回は、家喜社長の意外な過去について語っていただきました。今回は、サラリーマン時代の苦悩と栄光、そしてトップセールスマンの地位を捨てて独立へと向かう道のりについて語っていただきます。
――大学卒業後はサラリーマンをされていたんですね。
はい。某ITソフトウェア会社に入りました。ここは自動車のアフターマーケット業界向けのソフトウェアを販売する会社でした。自動車のアフターマーケット業界というのは、自動車の修理とか車検などを請け負う業界です。
入社前に河口湖の合宿所で新人研修がありました。初日の研修が終わって、疲れて寝ていると、夜中の3時にいきなり全員たたき起こされるのです。先輩に「全員集まれ!」とか言われて、わけもわからず並んでいると、「トイレのスリッパが揃っていない!」と怒られました。「なっとらん! たるんどる!」と。
――体育会系の厳しさに通じるところがありますね。
でも、この厳しさは私にはちょっとうれしいものだったのです。ああ、この会社はきっちりしたところなんだと。ここでも正義感が刺激されたのですね。社会人というのはこれが当たり前なんだと思いました。
ところが、実は全然違っていました。研修で厳しくしていた先輩が、帰りのバスの中で常識外れなことをしたり、4月に入って会社に行けば、先輩たちは会社のパソコンでアダルトサイトを見ていたり。
もう会社を辞めようと思いました。こういうのは許せないと思って。「もう辞めます!」という話をしたら、人事の責任者が「いや、それはもったいない。大阪でメンテナンスの人員が足りないからそっちでやってみるのはどうだ?」と言うのです。
私は営業がやりたかったのですが、大阪は地元だったので行きやすかったし、メンテナンスの仕事をやっていくうちに考え方も変わるかもしれないと思い、大阪で働くことになりました。
――大阪は違った環境だったんですか。
いえ、大阪もやっぱり同じでした(笑)。でも、お客様はいい方ばかりでした。私が行くと心からもてなしてくれました。さらに、当時、近畿地方を統括していた部長がとても尊敬できる人で、他の人はダメでもこの人がこう言うならついていって、仕事を頑張ってみようかと思える人でした。
メンテナンスは楽しい仕事なのですが、単調な作業の繰り返しでした。それで「営業をやりたいので営業部門に異動させてください。」とその部長にお願いしたのです。そうしたら「じゃあ、今の仕事をしながら、全国の主任職よりも売ったら営業に変えてあげるよ。」と言われました。
こうなると私のそれまでの経験が強みになったのです。それまでメンテナンスで回っていたので、お客様との絆がしっかりとできていました。「実は今度、これだけ売ったら営業に変えてもらえることになったんです。」と言うと、「おお、君ならば、新しいのを買ってあげてもいいよ。」とか、「そういえば、あそこの誰それが新しいのを買いたいって言っていたから紹介してあげる。」とか、お客様がすごく助けてくれたのです。
しかも、私はそれまでシステムをサポートしていましたから、それぞれのお客様の内情に精通していたのです。「今よりもこうやったら、もっと効率がよくなりますよ!」とお客様の望む提案ができたのです。それで全国の主任よりも数字を上げることができて、営業職に移ることができました。



ええ。私は「嘘は絶対にダメだ。」というつもりはないのですが、嘘は嘘でも責任を取れる嘘じゃないとダメだと思うのです。例えば3月から新しいサービスが始まるとして、それを2月に「こういうサービスがあります。」というのは責任が取れる嘘だと思うのです。でも、始まる予定もないサービスなのに「こんなのがありますよ。」というのは許されない。


