前回は、貞方社長のビジネスに対する基本的な姿勢から、起業のきっかけとなったパーティサークルの話をしていただきました。第2回目の今回は、その続きで、会社を設立した頃について聞きたいと思います。
学生の頃に会社を設立したとお聞きしましたが?
大学2年生のときに株式会社ケイズプロジェクトという会社をつくりました。
某フィルム会社さんや某化粧品会社さんがクライアントになって下さって、販促イベントの開催やマーケティングリサーチ、商品企画といった仕事していました。大手広告代理店と打ち合わせをして、学生ならではのアイデアをいろいろと提案するなど、とてもクリエイティブな仕事をしているなと思っていました。
ちょうど大学生ブームの真っ只中だったと思いますが、その中で感じたことは何ですか?
ホイチョイプロダクションの「私をスキーに連れてって」が立ち見だったり、「ミスDJリクエストパレード」で女子大生がDJを務めたり、、煌びやかな世界で大学生がもてはやされた時代でした。だから私もその流れに乗って、学生社長としてテレビでも随分取り上げられるようになっていました。
でも、ふと冷静になってみると「大学生を卒業したら、どうなってしまうのか?」そんな不安と恐怖心が込み上げてきたのです。
大学生ということだけで、社会の中の「面白いパッケージ」の1つになっているだけではないのか。ブームが過ぎたら皆に飽きられてしまうのではないのか。それは“危機感”に近いものです。社会人になって続けていても、クライアントが離れていくと感じていました。
それで、再び原点に立ち戻って考えたのです。私は学生パーティでここまでのし上がってきた。やはりパーティで勝負しよう、と。
周囲を見渡してみると、当時は学生パーティに代わる社会人同士のパーティはありませんでした。だったら、社会人向けのパーティをやろう。自分で主催できるし、クライアントの顔にびくびくせずにエンドユーザーから直接的に収入になると思いました。
結局、対企業の場合は接待が重要だと気づいたのです。
私は当時、もうベンツに乗っていましたけど、接待には電車で行っていました。
だって、その企業の担当者は普通のサラリーマンですから、出歩く時にはそのような“さりげない気遣い”が必要になってくる訳です。
ただ、そこまで気を遣っていても、何か相手の気に入らないことがあれば、すぐに切られてしまい、仕事が無くなってしまう。常に恐怖心と隣り合わせ、楽な仕事ではないのです。
でもパーティのようないわゆるエンドユーザーならば、単純にパーティが楽しければ自分のお金を払ってきてくれる。相手の顔色を伺うような商売ではなく、本当に顧客が見える、エンドユーザーの顔が見える商売をしたいと考えました。
パーティで勝負を賭けようと思った時に、何かヒントはあったのですか?
とんねるずが司会をしていた「ねるとん紅鯨団」というお見合いパーティの番組からヒントを得たのです。当時行われていた「ねるとんパーティ」は、男性が1万円、女性が3千円と、男性が多く払うのが当たり前の世界。
でも、私の場合は、いろんな社長さんとお付き合いがあったので、その逆をやってみようと思いついたのです。男性を5千円、女性を1万5千円にして「エグゼクティブパーティ」にしよう。男性は年収1000万円以上で、フェラーリとかポルシェとかベンツとか乗っていて、職業はお医者さんですよ、と。
若い女性はそういう人達と遊びたがるし、出会いたいと思うではないですか。つまり、そこに「付加価値」がある訳です。
その頃はセレブではなく、エグゼクティブ。ですから、エグゼクティブパーティという名前、これはすごくヒットしました。
まさに「逆転の発想」ですね!
そこから、ねるとんパーティの様々なバージョンを思いついて23歳から30歳近くまで8年間やっていました。
でもその間、みんな大学を卒業して就職してしまいます。私は自分で会社をやるという当初の気持ちは変わらなかったので、どこかに就職するつもりはありませんでした。
ですから、「あ、そうか。独りになるんだ。」という孤独感でいっぱいでした。
しかし一方で冷静に考えると、ねるとんパーティは一人でもできるのです。
なぜかと言うと、電話の受付だけ置いておけば良いからです。
その頃は小さい会社のために2万円くらいの電話代行サービスがあったので、そこに交渉して20万円払うからパーティの受付のアウトソーシングをして下さいと頼んだのです。
普通の発想だったら、20万円で事務所を借りて朝9時から夜の8時までいてくれる電話番を雇おうとしますよね?
でも、一人では無理だし、土日は対応できない。代行サービスならば、一人分の人件費で十分に管理してくれる上に、予約が入った人達の名簿を私の自宅にFAXしてくれる。そのFAXの人達に私が案内状を出し、当日になったら名札や紙、受付をボストンバック一個で持って行けば仕事ができる・・・とても効率的に仕事をこなせる訳です。
知らないうちに「アウトソーシング」を覚えていたのですね!
そうなのです。それでだいたい週100万円くらい売り上げていました。1万5千円払って60~70人来てくれたら、それだけで100万円。
月にすると400万円。その400万円のうち150万円が会場費と飲食代、80万円が広告代、20万円がアウトソーシング代、そして当時住んでいた家賃が20万ぐらいだったので、結局月に150万円くらいは稼いでいました。
友達によく皮肉交じりで「貞方って週休5日でいいよね」と言われていました。月~金まで何もしないで、全てアウトソーシングでやってくれるから、時間があって羨ましいと。
ですから、余った時間はいろんな社長さんに呼ばれてご飯を食べに連れて行ってもらったり、自分のお金でも飲みに行ったりして・・・。
それだけ稼いでも、どんどん使っていたのですか?
実を言うと私、貯金が嫌いなのです。何故かと言うと、お金が死んでいる気がするのです。
企業の本質は、資金を集めて借入をして、そこからまた新しい大きなビジネスを生み出していくことです。
ですから、学生パーティをやり始めたとき、よく母親に言われました。
「なんで、ちょっと儲かったと言ってベンツを買うの?貯金しなさい!」。
でもフェラーリを買おうとしたら、月10万円貯金しても1年で120万円。10年間貯金しても追いつかないのです。
最初に会社を作ったときは家賃が6万円でしたが、余ったお金はどんどん自分に投資して、
全部使っていました。
そうするといろいろな社長に可愛がられるし、いろいろな人脈もできる。だから貯金はずっと嫌いでしたね、未だにあまり興味がありません。
自分の「可能性」に投資していたのですね!
いい所にご飯を食べに行くとテーブルマナーの勉強になるし、いろいろな人と知り合える。
そのような遊びの中から、素晴しい人材にも出会える訳です。
現に私の右腕は、広告募集したところで出会えなかった人物です。
結局、遊びの中から将来の社員を探したり、自分も様々なノウハウを勉強したりするのです。
そしてその後、遂に飲食業に進出したのですか?
会社設立の頃から、いろんな人に相談していたのですが、なかなか埒が明きませんでした。
その最大の原因が、私が飲食業の経験がなかったこと。「パーティと飲食業は全く違う!」と言われました。
ならば人の力を借りず、まずは自分のお金でできることをやろうと思いました。ただ、品目が沢山あると大変なので、例えばラーメンやタコ焼などの単一品目で勝負しようと考えたのです。
当時は渋谷の東急ハンズの付近にたこ焼き屋さんがいっぱいできたりして、ちょうどタコ焼きがブームでした。
タコ焼きはテイクアウトなので小さな場所でオープンできるし、元手がそんなに必要なかったのです。
早速大阪の道具屋街まで道具を買いに行きました。
【次号】第3回:貞方のノウハウはもう十分だ。
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