貞方社長といえば、「成功者=セレブ=派手な私生活」のような世間のイメージがありますが、本人はどのように考えていますか?
成功者とかセレブとか世間の目は、自分にはあまり関係ないことですね。好きなことに打ち込んで、自分が思い描く夢を実現して行ったら、今の自分になっていたという感じです。改めて振り返ってみても、そこに苦労みたいものは何もなくて、常に「楽しい」という気持ちしかないです。
例えば、パソコンをやるとするではないですか。ゲームとか。ゲームは、難しいモノが面白いですよね。攻略本を買ったり、他人から攻略方法を聞いたりして、かんたんに攻略しても、すぐに飽きてしまいます。ですから、ビジネスも、一生懸命やっても上手く行かない、難しいから投げ出したいと言いますが、本当は、苦労しているから楽しいのであって、その分打ち込めるのではないでしょうか。
成功の秘訣は、「楽しむ」ということなのですか?
そうです。それだけではないですけど、重要なことです。事業を始めるときは、いつも“0(ゼロ)”からの挑戦なのです。何も無いところから始めるので、その時その時は大変ですけど、私は決してあきらめません。といいますか、あきらめるという概念がない。ビジネスというものは、いつもロープの綱渡りで、奈落の底がいつも見え隠れしている。もしかしたら?と、やはり思います。
しかし、その裏側では、「落ちたらもう終わり」みたいなゲームを楽しんでいる自分がいます。会社の場合は、倒産がゲームオーバーですけど、常に新しいことに挑戦して、ギリギリまで攻めるからこそ、次のステージに行けるのではないでしょうか。
このギリギリ感が好きで、それを楽しめるからこそ上手くいっているかもしれませんね。
そのように考えるようになったのはいつ頃からですか?
いろいろなプロセスを経ているのですが、始まりは子供の頃の夢からだと思います。
私が子供の頃はちょうどスーパーカーブームで、将来はこれに乗りたいと、フェラーリやランボルギーニのミニカーを集めていました。今はミニカーだけど、大人になったら絶対に本物のフェラーリに乗ると決めていました。まわりの友達も、僕はポルシェ、僕はカウンタックと、自分の好きなスーパーカーに乗ると自慢して言い争っていました。
しかし、高校生になるとみんな現実的になって、フェラーリなんて買えない、とわかってきます。世の中が見えてきて、夢を語らなくなってきました。でも、私はフェラーリが欲しい。憧れとかではなく、本当に20代で買おうと思いました。
なので、普通のサラリーマンではフェラーリを買えないから「自分で会社やろう!」と決めたのです。だからといって、何をしていいのかわからなく、行動に移すことができずにいました。高校を卒業してから2年間はフラフラしていました。
何もしていなかった2年間が、人生の充電期間だったのでは?
カッコつけるとそのような言い方になりますね。福岡県の実家にいて、本当に何もしていなかったです。でも、このままではダメになるなというあせりはありました。ですから、自分の可能性を信じて、家を出て、日本の中心でバブル真っ最中の東京に行こうと思いました。親には反対されましたが、東京の大学に行くことを条件に、何とか行くことができました。
1年間予備校に通って、東京の大学に合格します。大学に入ってみると、私はいわゆる3浪なので、3歳も年下の同級生がいることに気がつくのです。3歳も年下に呼び捨てにされて、3年間という時間を無駄にしたことを痛感しました。
そこで、何かできることから行動しようと思いました。はじめから会社を作りたかったのですが、お金がなかったので、まずはその準備としてサークルを立ち上げようと考えたのです。当時はバブルでディスコブームだったので、ディスコパーティを企画するサークルにしました。
早速、会場を予約するために六本木のディスコを訪問するのですが、いきなり店長に“手付け金”として会場費の20%である9万円が必要だと説明をうけるのです。私は、当日にお客からの入場料で全額支払うつもりでいましたから、“手付金”と言われても困ってしまいました。
私は当時、家賃6万円の家に住んでいましたから、9万円といったら大金な訳です。親が金持ちならば、すぐに貸してもらえるかもしれませんが、サラリーマンだったので、9万円をポンと出してはくれません。普通考えるのが「自分でバイトして稼ぐ」という方法ですが、夏休み前に開催するには、とても間に合いそうにはありません。貯めたとしても、2~3ヶ月後の秋になってしまいます。
そこで考えたのは「飲み会の幹事」になることだったのです。
飲み会の紹介料として友達からお金をもらったのですか?
「友達からお金を集めた」という意味では正解ですが、少し違います。
例えば、飲み会で幹事をやると、会計の時に幹事が会費を集めます。例えば、男性10名・女性10名の20人で、1人5000円としたら、合計10万円。みんなから会費を集めてまわると、9万5千円あるわけです。
普通だったらそこに自分の5千円を足して払いますが、9万5千円を自分のお財布に入れてクレジットカードで払ったわけです。その頃は、学生向けクレジットカードが普及した時代で誰でもつくれました。
そうするとその9万5千円は、無金利で1ヶ月間借りられることになります。それで、そこから9万円をディスコに持って行って“手付金”に充てていたのです。今でこそ、キャッシングとかで、かんたんにお金を借りられますが、当時はそんな時代ではなかったのです。
大学生1年生なのによく思いつきましたね?
それを友達に話したら「それは、ギャンブルだ。もし、パーティが成功しなかったら払えないじゃないか。」と言われました。確かに、バイトで貯めたお金ですれば安全ですが、3ヶ月後だとチャンスを逃してしまう。そもそもパーティが成功しなかったら、手付金どころか会場費自体が払えないではないですか!
講演でよくする話なのですが、「会社や事業を興したいけど、お金がないと言いますが、みなさんはお金がないから会社をやるのではないですか?」と。最初は、お金がないことが当たり前。お金をつくるところからが、会社なのです。
経営者として18年間やっていますが、今考えても、原点はそのパーティの9万円でした。
お金がないからアイデアを考えるということ。何となく知らない間に資金繰りとか折衝の基本とかを学んでいたのです。「お金がないからこそ」身についたと思います。
その9万円が「初めの一歩」だったのですね!
そうです。最初のパーティをがむしゃらにやって大盛況で終わらせ、主催のパーティを次々と成功させていきます。集客の方法とか運営の方法とか、一通りこなした後で、今度は次の一歩として何をすべきか考え始めます。
楽しいから入場料で赤字にならなければいいでは、単なる学生パーティで終わってしまいます。だけど、私にしてみたら、それを会社のとっかかりにしたかったので「では、どうしよう?」と必死に考えました。そこで、「学生の集まり=企業宣伝の場」にしようと。企業の協賛を持ってこられるのではと思いついたのです。
すぐに200社くらい電話して、10社から協賛もらいました。
自分で電話したのですか?
はい、自分で電話しました。今考えると行動力あったなって思いますね。物品協賛ですけれど、例えば某お酒メーカーだったらスパークリングワインとか、パーティに来てくれた人たちがお土産に持って帰れたら嬉しいものを集めました。
まずは実績を作って、次のステップとして、現金協賛をとれないのかと考えていました。ですから、企業の担当者と仲良くなって、合コンをセッティングしたり、夜中のバーとかにも呼び出されたりして。大学1年生でもう〝接待〟という言葉を覚えていました。
大学の友達からは、何が楽しくておじさんたちに媚びへつらうのか、と陰口をたたかれました。でも、それはそれですごく意味のあることでした。いろいろなアドバイスやヒントがもらえましたからです。
「貞方君ね、たった400人に広告したからといって、お金は出ないよ。だって、雑誌広告にすれば、50万人くらい見るわけでしょ?」
私にしてみたら400人はすごく大きい人数だけど、大企業からしてみたら“ん~”みたいな人数なのか。だったら、1つのパーティで400人集めているわけだから、それが25パーティで1万人になる。ならば、自分がパーティを主催するのではなく、複数のパーティを取りまとめて、全部で学生1~2万人に告知するという企画にすれば、広告商品になる。そうすれば、企業も動いてくれる。そのようなヒントをくれたのです。
そこでパーティを主催することをやめて、パーティをやっている団体に呼びかけて、それを束ねる学生向けの広告代理店を始めました。これが私の手がけた最初の事業となりました。
【次号】第2回:自分は「面白いパッケージ」の1つでした。
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