[トップインタビュー第1回]

日本発で世界にイノベーションを起こしたい!

2013/5/22

オーマイグラス株式会社
代表取締役社長 CEO
清川忠康

インタビュアー:越石一彦、構成:木村俊太)

人がやらないことだから、やる価値がある

清川忠康社長は、アメリカ・スタンフォード大学のビジネススクールに2年間留学し、具体的なノウハウとともに起業家精神を学んだ。「日本発のイノベーションを世界に」という志で帰国後に立ち上げたオーマイグラス株式会社は、ネット通販でメガネを販売するという画期的なものだった。周囲の誰もが「失敗する」と言うなかでも、清川社長の成功への確信は揺らがなかった。その根拠はどこにあったのだろうか。

スタンフォード大学で日本を強く意識した

――まずは、御社の特長について教えていただけますか?

はい。私たちは、メガネ専門のネット通販サイト「Oh My Glasses(オーマイグラスィズ)」を運営しています。返品手数料と返送料が無料で最高級のメガネを購入できる点を評価していただき、日経トレンディで第1位を獲得するなど、会社設立から2年弱ですが、多くの方々に利用いただいています。

――清川社長はスタンフォード大学のビジネススクールに2年間留学され、その体験をまとめた『スタンフォードの未来を創造する授業』(総合法令出版)という本を出版されています。やはり、留学が起業に結びついたのですか?

もともと実家が自営業でした。父は経営難に陥った取引先を再生するということをしていましたから、自分も会社を経営するのだろうと思っていました。ですが、やはりスタンフォードに留学したことで、いわゆる「起業家精神」を強く刺激されたと思います。

――スタンフォード大学はそれほど起業家精神に満ちたところだったのですね。

そうです。学校の理念が「Change the World(世界を変えよう)」というものでした。入学式に「将来、起業家になりたい人はどれくらいいますか」と問われたとき、95%の人が手を挙げました。

スタンフォード大学のビジネススクールは、社会に出てから入ってくる人が多いのですが、金融会社やコンサルタント会社にいたという経験には、まわりの人たちはほとんど興味を示しません。日本の感覚ですと、ゴールドマンサックスのような有名な投資銀行に在籍したという経歴が注目されるのですが、スタンフォードではまったく興味を持たれませんでした。

ところが、「起業していた」と言うものなら、みんなが食いついてきます。「詳しく話を聞かせて」と、話の輪の中心に据えられます。

――スタンフォード大学では、日本人、あるいは日本という国はどのように評価されていましたか?

私は語学留学も含め、三度、アメリカに留学しているのですが、日本に対する評価はどんどんと下がっているように感じました。もはやかつての「経済大国日本」というイメージはほとんどありません。むしろ、中国やインドなどの新興国に注目が集まっています。

学生の数も同様でした。中国やインドからの留学生は大勢いましたが、私のいたクラスに日本人は私だけでした。ですから、余計に「日本」という国を強く意識するようになったのです。

――外から日本を見ることで、客観的に意識できるようになったのですね。

もちろんそれもありますが、それだけではなく、みんなが日本という国を私を通して知ることになるため、少なくともクラスでは私が日本の代表でした。彼らにとっては、「日本人=私」なのです。

そうなると、うかつなことは言えません。「日本を代表している」と意識せざるをえませんでした。

――何か具体的なエピソードはありますか?

トヨタ自動車のサプライチェーンについて考えるという課題が出たことがありました。すると、クラスの人たちは唯一の日本人である私に、いろいろな質問を矢継ぎばやに投げかけてきたのです。

 「トヨタと日産はどんなところが違うのか」
「トヨタが他社に優っているのは、生産システムなのか。そうだとしたら、どこがどう違うのか」
「その経営手法は日本文化に根付くものなのか」

私は自動車会社に詳しいわけではないので、聞かれて困りました。

震災を契機に起業を決意

――スタンフォード大学卒業後に、アメリカで就職や起業をするという選択肢もあるなかで、日本に帰国して会社を立ち上げました。

そのような経験を積んで、「日本発のイノベーションを起こしたい」という気持ちがとても強くなりました。

また、卒業直前の2011年3月に日本で起きた東日本大震災が、私に起業を決意させたと言っても過言ではありません。私自身はアメリカにいて無事でしたが、知人が2人命を落としました。

当時、私は日本にいるビジネスパートナーとスカイプを使って打ち合わせをしていたのですが、その最中にも何度も余震があり、パートナーが「お、揺れている、揺れている」という不安な声を発していました。遠く離れていただけに、余計に気がかりでした。

――日本を何とかしたいという思いが芽生えたということですか?

それもあります。もう一つは「日本って、実はすごいんだ」ということを日本から世界に発信したいという思いもありました。

震災後、電車が止まった都内で、人々が暴動を起こすことなく、みんなで助け合いながら歩いて帰宅した姿には、スタンフォードの同級生たちから「日本って、すごいね」という声が上がりました。

私自身、日本人として、日本から世界へと展開していけるビジネスをしたいという思いがありましたし、「日本発で世界へ」というところに、日本再生のカギもあるのではないかと考えたのです。

――その思いが「メガネをネットで販売する」という形に結実するわけですが、そこにはどのような経緯があったのですか?

ひとつは私自身がメガネ好きだったということです。もうひとつは、日本の強みとは何だろうと考えたからです。

日本を支えてきたのはやはり製造業であり、その製造業を支えてきたのは中小企業です。品質管理において、欠陥を少なく、完璧な製品を出荷していくことにこだわり過ぎるのは、ビジネスの合理性から推奨できることではありません。しかし、日本の強さがここにあるのも事実だと思います。日本のメガネ作りの技術も、このような品質の高さがありました。

そして、メガネを作るという伝統的な技術とインターネットという最新の技術が組み合わさることで、イノベーションが生まれるとも考えたのです。

――周囲の反応はいかがでしたか?

ほとんどの人が「失敗する」と言いました(笑)。でも、人が「うまくいくよ」などというものからはイノベーションは生まれません。人がやらないことだから、やる価値があると思いました。

――帰国してから、まずはどのようなところから着手したのですか?

帰国してまずやらなければならなかったのは、メガネという商品を仕入れることです。しかも、昨今出回っているような格安なメガネではなく、技術力の高い、最高級品のメガネでないと意味がありません。そこで注目したのが、福井県鯖江市でした。

――メガネ生産の一大集積地ですね。

日本のメガネの96%が鯖江市で作られています。世界を見ても20%のシェアがあります。先ほど述べましたように、私自身、メガネが好きで、鯖江市のメガネの品質の高さもよく知っていました。

そこで、鯖江市のメガネ会社と組みたいと思いました。鯖江市には、メガネの生産をしている会社は何百社とありますから、まずは技術力が高いと評判の会社をリストアップして、電話で「ネットでメガネを売ることに興味はありませんか」と尋ねたのです。

職人気質の強いところとはいえ、2代目、3代目の経営者がほとんどなので、若い世代の社長ならネットでの販売に理解を示してくれる人もいるだろうと思いました。

――実際の反応はいかがでしたか?

「興味はない」の連続でした(笑)。ラチがあかないので、とにかく現地に行ってみようと思い、鯖江に向かうことにしたのです。

<第2回:メガネがネットで売れるはずがない!>

インタビュアー:越石一彦、構成:木村俊太

投稿日:2013年5月22日
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