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第1回 「知らないと恥をかく!熨斗(のし)紙のマナー」

著者:Pathfine株式会社   石塚 めぐみ


こんな時どうすればいいの?~熨斗紙のまめ知識~

日本には様々な贈り物のマナーがあります。ただし、贈る用途と相手によって礼儀やマナーが違うことをご存知でしょうか。正式な贈り物には、水引とともに熨斗(のし)をつける習慣があります。
今回は「こんな時はどうすればいいの?」を日本人として知っておいてほしい”熨斗紙の正しいマナー”のポイントをまとめてみました。

熨斗(のし)とは?

熨斗(のし)は日本の贈り物の特徴の一つとも言えます。
熨斗紙や熨斗袋に印刷されている熨斗(のし)や金封についている熨斗の原形は、白い和紙の上に赤く染めた和紙を重ね合わせ、細く切って束ねたのし鮑を包んで水引で止め結んだもので、御祝いの際に贈り物に添えて用いられていたものが、後に簡素化したものです。そう聞いてもなかなかイメージできませんよね。なぜなら、現在の熨斗(のし)は紙に印刷されているからです。

熨斗(のし)の由来

その昔、伊勢の国崎を訪れた倭姫(やまとひめ)は、海女から“あわび”を贈られてとても喜び、このあわびを伊勢神宮にお供えする供物として奉納するよう求めました。
あわびは、神様の供え物としてとても珍重されました。それを知った人々は、「自分の土地の神様にもあわびを供えたい」と考えるようになりました。
しかし、あわびは海の深いところへ海女が潜って採ってくるため、大変貴重で高価な品物だったのです。
そこで、鎌倉時代ごろから熨斗(のし)鮑が広まりました。熨斗鮑の作り方は、あわびの肉を薄くはいで、火熨斗(ひのし)という昔のアイロンをあてて平たく伸ばし乾燥したものです。あわびをいくつにも切って使えば、一枚のあわびを分けてあちこちの供え物にできるというわけです。
贈答の起源は「神様の食べ物」としてお供えをした干あわびを和紙で包んだ上から、数本の白い”こより”で束ね、丸結びにした形で奉納されていたことに由来します。
熨斗(のし)は、紅白の紙に「熨斗(のし)鮑」を薄く伸ばして切ったあわびを包んだものです。
江戸時代には長生き長持ちの印と重宝がられ、祝事や慶事の儀式に高価な贈答品として用いられるようになり、時代の移り変わりと共に前述の和紙に包んだ「熨斗」を贈答品に添える風習が根付きました。

熨斗(のし)紙のはじまり

現在のような熨斗(のし)紙の元になったのは鎌倉から室町時代の宮中儀式における「反物包み」がはじまりでした。その後、江戸時代、明治時代を経て庶民の間に広まるようになると簡素化されて「熨斗鮑」も「折り熨斗」へと変化し、大正時代に入ると印刷の発展とともに更に簡素化されて、現在のような一枚の紙に水引や熨斗がデザインされたものに変化していったのです。
のし紙やのし袋の熨斗のデザインは、大きく分けると東日本と西日本によって異なっており、東日本の熨斗は濃紺色に黄色の松竹梅を簡素化したデザインで、江戸の粋(いき)の流れを汲んだものであるのに比べ、西日本の熨斗は松竹梅と鶴亀をモチーフに多色刷になっているのが特徴で、京の華ぎ(はなやぎ)の流れを汲んだデザインとなっています。

ポイント(1)

熨斗とは、お祝いの際に贈り物に添えていた熨斗鮑を和紙で包んで水引で止め結んだもの。

ポイント(2)

熨斗の由来は、「神様の食べ物」としてお供えをした伸しあわびを和紙で包んだ上から、数本の白い”こより”で束ね、丸結びにした形で奉納されていたことからはじまった。

ポイント(3)

熨斗紙は、東日本と西日本ではデザインが異なっており、大正時代に熨斗鮑が簡素化されて折り熨斗へと変化し紙に印刷するようになったのがはじまりと言われている。

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著者プロフィール

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石塚 めぐみ

Pathfine株式会社

8年間の事業立上・経営ノウハウを活かし、中小企業向けに業務改善・経営戦略等のコンサルティングに従事。ブライダル事業からフード産業まで、さまざまな業界の企業を支援しております。

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